リハビリジャーナル  ~健康志向型科学的アプローチ~

日々、クライアントと健康を追い求めています。

『え!?「弱い」って悪いこと?』

お疲れ様です!
 
タイトルにびっくりされた方が多くいらっしゃるかもしれません。
本日は、いわゆる「弱い」ってことを掘り下げてお話ししていこうと思います。
 
最近、社会的弱者や情報弱者など「弱き者」とした表現を多く見聞きします。
そこで、思ったのがそもそも「弱い」ってなんだろう?
それに、「弱い」って良いこと?悪いこと?
など、いろいろと考えてしまったので
私なりの解釈をこの場を借りてお伝えしたいと思います。
 
なんで、「弱い」をテーマに話しをしようかと思ったのか?
それは、こういったA氏とB氏の話しを思いだしたからです。
 
社会復帰を支援するAさんと
2009年に交通事故で障害を負って復職困難となったBさんの話しです。
 
B氏は、労働災害認定をもらい生活しています。
そして、その他の公的サービスを受けています。
そのB氏と関わるA氏が
認定更新前の調査のタイミングでお話しする機会がありました。
 
B氏「明後日、調査が来るんだよねー」
 
A氏「そうなんですね!かなり歩けるようになりましたね」
   「そろそろ復職出来るんじゃないですか?」
 
B氏「そうだね!カラダは動けるようになって自信がついてきたんだよ」
   
A氏「いいじゃないですか!!その調子で調査に挑んでくださいよ!」
 
B氏「んー、でもね。怪我した時は、すぐに治りたいって思っとたんよ」
   「あれから、2年が経つけどなんかもうこのままでいいかなっち思っとんよ。」
 
A氏「なんでですか!?あれだけリハビリ頑張ってきたじゃないですか!!」
 
B氏「そうなんよ。でもたしかにリハビリは頑張ったけど、仕事もせんでいまお金もらって・・・」
   「正直いまさら仕事して、頑張っても上手くいく保障もないし・・・・」
   「やき、このままでもいいかなっち・・・・」
 
A氏「駄目でしょう!何のためにここまでいろんな人に支えられて頑張って来たんですか!」
   「あと、もう少し頑張ったら復職できるじゃないですか!!」   
   「調査も近いし、ちゃんとここまでの努力の成果を見てもらいましょうよ!!」
 
B氏「Aさんの言っとることもわかる。でもオレは弱い立場に置かれとるんよ」
   「どうせ頑張っても負った障害も完全に治るわけでもない」
   「なら、このままお金もらっていろんなサービスを受け続けた方が良いと思っとる!!」
 
A氏「いや・・・・」
   「それは・・・」
   「私は駄目だとしか言えません・・・」
 
B氏「悪いとは思っとう」
   「でも、もしまた頑張っても・・・」
   「上手くいかんやったらAさんはどうしてくれるん?」
 
A氏「私は駄目だとしか言えません」
   「Bさんの責任とか・・」
   「難しいです・・・」
 
B氏「オレなりには頑張るけど、調査の日はどうなるかわからん」
 
A氏「そうですか・・・」
   「私としては、今のBさんの状況を調査員にお伝えくださいとしか言えません。」
 
B氏「わかった」
   「Aさんには迷惑をかけんけん」
 
A氏「・・・・・・・」
 
 
この後のことは、
皆様のご想像にお任せします。
障害を負って、仕事が出来ない状況でした。
ハンディキャップという社会的に弱い立場でした。
しかし、何とか復職の希望が見えてきたとき、
Bさんの心に迷いが生じました。
社会的弱者という立場がなくなることに・・・
 
 
 
このやり取りを見て
皆様はどんな気持ちになりましたか?
 
 
 
そもそも「弱者」ってなんなんでしょう?
 
私の目には「弱者」の立場を利用した狡猾な「悪者」に見えました。
でも、ハンディキャップという事実は抱えています。
だから「社会的弱い立場」だろ、と言いたくなる理由もわかります。
 
じゃあ、何が問題なのか、
「弱い」という立場を利用しているということです。
 
社会復帰(所謂弱い立場からの復活)のために、
国が用意した様々な公的サービスを利用することは大切なことと思います。
社会的には弱いかも知れませんが、精神的には強いですね!
 
でもBさんはどうでしょう?
まず、精神的には弱いし
かつ社会的には努力を諦め(義務を果たさず)
公的サービスを受けようとしている。
ある意味では、
義務を果たさず、権利を行使できるという
強い立場とも言えます。
 
 
 
『公的サービスを利用せず、
その公的サービスを支えるために
寡黙に義務を果たしている人』
 
『周りに文句や同情ばかり求め
自助という義務を果たさず、
公的サービスを利用できるという
権利ばかりに囚われている人』
 
どっちが「弱い」んでしょう?
どっちが「強い」んでしょう?
 
やっぱり、「弱い」「強い」って何?
 
ここからは
私なりの解釈を申し上げます。
 
普遍的な「弱い」「強い」っていうのはないです。
 
あくまでも相対的なんです。
 
100kgのバーベルを挙げることの出来る人に対して、
50kgしか挙げれない人は「弱い」ですね。
 
逆に、100kg挙げれるひとは「強い」ということになります。
 
しかし、200kg挙げれることが平均(常識)だった場合は、
100kg挙げれる人は決して「強い」とは言えませんね。
 
だから「相対的」なんです。
 
 
 
 
じゃあ、先に例として挙げた話しはどうなるのか?
 
私の解釈を直球で説明すると
 
「弱き人」
 →自助という義務を果たさず、権利を行使する人
「強き人」
 →どんなに身体的だったり経済的や社会的な不利に追い込まれても、
自助の義務を果たし続け、自助を生かすための権利を上手く活用していく人
 
違う表現で言い直すと、
 
「弱き人」
 ↓
人の助けの上に
胡坐をかいて平然と(又は弱者を装って)
座れるような人間
 
 
「強き人」
 ↓
自助の目的が「周りに迷惑を掛けたくない」または
「元気になったら周りを助けたい」
こんな目的を持って頑張っている人は
どんなに手足がなく、人の手が必要だろうと
私は、強い人だと思います。
 
 
ということで、
テーマにしていた
『「弱い」って悪いこと?』
についてですが、
まず、「弱い」の定義を私の解釈に合わせた上で
私の判断は「悪い」とさせて頂きます。
 
ポイントは、
 「自助の精神があり義務を果たしたうえで権利を活用するか否か」
これは、「誠実」な人間ほど強いということにも繋がると思います。
 
また、「悪い事」は「弱い事」と言い換えてもいいかもしれません。
そう言うと、今度は「悪い」について話さなくてはならなくなりませんね。
 
そこは皆様の解釈に委ねます(笑)
 
 
介護・医療・福祉の分野で働く私たちはこうしたジレンマを
抱えることが多いのではないでしょうか?
仕事だから、決められた作業だからと割り切ることも大切です。
でも、その湧き上がってくる感情に何でだろうとたまには、
真摯に向き合ってみるのも大切なのかなと思います。
 
今日話したことは、あくまでも私見であります。
だから「弱い」から駄目だ!!
とか、そういうことではないということだけは伝えておきます。
 
少なくとも、まずは自分だったら
「どうありたい」というものを
皆さんの心の中で大事にしてください。
時には、私にも話してくれたら嬉しいです!!